昨日の大地君の感想の続き。
宇宙を飛行する機械が壊れても危機は訪れません。しかし、生活世界に組み込まれた工学の産物はリカバリがきくとは思えない破局的な事態をもたらし得ます。実際に、福島第一原子力発電所では深刻な事故が発生して、多くの人が家を追われました。工学や科学を問い直さざるを得ない状況が生まれています。原子力発電所は工学の結晶のように思えます。しかし、恐らく、原子力発電所を作り出して守り続けてきたのは、論理ではなく、核=マチスモに対する日本人の欲望や、資本の作用や、アメリカの都合や、原子力に関わる人たちの思惑などです。
日本は、原子力発電にエネルギー予算の多くをつぎ込み、他の発電方法をほとんど考慮してきませんでした。また、厄介なので、事故の危険性には触れませんでした。さらに、核燃料サイクルという夢物語を紡ぎ、放射性廃棄物の処理問題を後回しにしました。予測を立てて、企画を立案して、実証して、結果を次の実践に活かしていくというサイクルを経て、より合理的なものとして原子力発電を採用してきたわけではないのです。
結局、科学全般は、背後にある不合理な権力や社会の影響下にあります。科学や工学の意義を考えてしまいます。(結)
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