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カテゴリー「読書」の記事一覧

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持ち重りする花束      (438)

小澤征爾×村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社)で小澤さんは次のように述べている。

「ハイドンから始まって、現代に至るまで、名のある音楽家はこぞって弦楽四重奏を書いています。モーツァルトも、ベートヴェンも、シューベルトも、ブラームスも、チャイコフスキーも、ドビュッシーも。そういう作曲家たちは、四重奏を作曲するとき、それこそ全力を傾けています。だから彼らの書いた弦楽四重奏曲を演奏することによって、その作曲家をより深く理解することができます。とくにベートヴェンの後期の弦楽四重奏曲を知らずして、ベートヴェンを眞に理解することはできません。そういう意味もあって、弦楽四重奏曲を重視しているわけです。音楽のひとつの基本になっているわけですから。」(346p)



村上春樹さん→丸谷才一さんと続くとあまりにも符牒が合い過ぎて照れてしまうのだけど、「弦楽四重奏」の言葉に誘われて『持ち重りする薔薇の花』(丸谷才一、新潮社)を読んでしまった。帯(裏側)にこうある。…元経団連会長にして旧財閥系企業の名誉顧問である梶井は、80年代初め、NYで不遇をかこっていたころ、ジュリアード音楽院に通う日本人学生たちと知り合う。そして彼らが結成した弦楽四重奏団に「ブルー・フジ・クヮルテット」と命名。やがて世界有数のカルテットに成長した四人のあいだにはさまざまなもめごとが起こりはじめるが、その俗な営み、人間の哀れさを糧にするかのように、奏でられる音楽はいよいよ美しく、いよいよ深みを増していく―。



私を梶井さんに置き換えてみる。(笑)私にとっての「弦楽四重奏団・ブルー・フジ・クヮルテット」とは何かと考えてみた。

そもそもカルテットとは。「途中にきれいな薔薇の垣根の家がありましてね。立ち止まってそれを見た。そして、クヮルテットといふのは四人で薔薇の花束を持つやうなものだな、なんて思つたんですよ。(中略)いや、薔薇の花束を一人ならともかく四人で持つのは面倒だぞ、厄介だぞ、持ちにくいぞ、なんて思ひ返した。むしろ、惑星を四人で担ぐほうが楽かもしれない、なんてね(略)」ああいふ話をされると切ないですね、こちらも。それで「薔薇の花も惑星も、どちらも重さうだな。惑星が重いのは当たり前だが、薔薇の花束も見かけよりずつと持ち重りしそうだ」なんて答へました。…(148p)

持ち重りする花束を四人で持つような演奏家たちの、その人間であることの哀れさを糧にするかのように、いよいよ美しく、いよいよ深みを増して奏でられていく音楽。

今年60歳になる私にとって、その開校からの自由の森学園での日々の営みはまさに、そして、そこで奏でられて来た音楽は、まさしく・・・

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マーラー、なのだ。      (439)

小澤征爾×村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社)を読んだ。うーん、私のイメージする村上春樹の作品世界ってこんな景色だったかなあ。(笑)



ところで、この対談集は村上(春)さんの手によって丁寧に原稿がつくられ編まれている。例えば、第1回「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番をめぐって」では、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番を、「グールドとカラヤン」「グールドとバーンスタイン」「ゼルキンとバーンスタイン」「ゼルキンと小澤征爾」「内田光子とザンデルリンク」等のピアノ演奏者と指揮者の組合せのCD(及びDVD)を実際に聴きながら、二人で話を進めていく。それはとても具体的で、私もその場にいるような臨場感があって、実に面白い。



私は、まとまった時間がとれるといつもマーラーを聴く。GUSTAV MAHLER. この本の第4回は「グスタフ・マーラーの音楽をめぐって」。やっぱり夢中で読んでしまった。で、勢いは止まらず、手元にあった『グスタフ・マーラー 現代音楽への道』(柴田南雄、岩波現代文庫)も再再読?してしまった。この本は1984年刊行の岩波新書が元版。今から28年前。ちなみに昨年の12/16に発行された『マーラーの交響曲』 (金 聖響 ・玉木 正之 、講談社現代新書)も片側に置くと、やっぱり色々な感慨が湧いて楽しい。(ちなみに、このブログのマーラーの関連記事は「GUSTAV MAHLER (675)」2011.5.8。)



そうだ、明日は交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」を聴いて過ごそう。あっ、小澤さん、申し訳ない。今、手元にあるCDは、山田一雄(ヤマカズ)指揮なのだ。

橋へ       (440)

私は秩父神社へ初詣に行かず、秩父公園橋を歩いていた。



安野光雅『絵のある自伝』(文藝春秋)を読んだ。アンノさん、お懐かしい。安野さんの楽しい絵で綴られた自伝。



(中に、安野さん自身が好きな篆刻まで掲げられている。)その篆刻に「雲中一雁」というものがあった。私もまたその言葉が気に入り、秩父公園橋の上をぶらぶらと歩いては空を見上げてみた。



頭上には一羽の鳥影もなかったが、私は充分幸せだった。2012年、元旦。

原発国民投票      (451)

ひとつき程前、テレビ朝日がCM放送を拒否してさらに世間の関心を集めた『通販生活秋冬号』(カタログハウス)を頂いた。



表紙にこうある。…原発は安全だ心配ないと言ってメルトダウンを惹き起こした電力会社べったりの経済省、過去と現在の与党に、原発の将来を決定する権利なんてあるんだろうか。「今後の原発のありようを決める権利者は、万一のときには子どもの命、ふるさとの喪失、農業牧畜漁業の崩壊を賭けなくてはならない国民一人一人です。どうか皆さんで決めてちょうだい」という声がどうして出てこないのだろうか。…一日も早く 原発国民投票を。…

中には、「原発国民投票」実現のための署名用紙までページに組み込まれていた。(9p目)

ふくしまの子どもたちが描く     (492)

10期生の版画家・蟹江杏さんが文を書き、福島県相馬市の佐藤史生さんと編集した、「ふくしまの子どもたちが描く あのとき、きょう、みらい。」(2011/10 /31 発行、徳間書店、1300円∔税)という本は凄い。



子どもたちの数々の絵と、3/11・3/12・4/6・4/23・5/26と綴られた、子どもたちの心に寄り添うドキュメントな文が、福島の子どもたちの震災直後からのありのままの心情をくっきりと浮かび上がらせる。

杏さんはこう書く。
…この本は、震災の翌日から私たちが始めた「被災地の子どもたちに絵本と画材を!」プロジェクトから生まれました。絵本と画材を送る活動は、4月上旬から相馬市の避難所で行ったお絵描き教室、版画体験教室、小学校での総合学習での作品づくりへと発展しました。本書は、そこで描かれた子どもたちの絵を掲載したものです。子どもたちの目を通して見た震災の被害、そのときの気持ち、その後の故郷の様子、そして、未来への希望などが、素直な思いで描かれています。ぜひその思いを感じとっていただきたいと思います。

ここに掲載されている絵は「ふくしまそうまの子どものえがくたいせつな絵展」として、8月上旬から全国で開催された。8/17~23 「全労災ホール」では、同時に「被災地相馬市の子ども文庫設立のためのチャリティイベント」も行われた。最終日のイベントには、自由の森の生徒も参加し「東北地方の民族舞踏」を演じたと記されている。ちなみに、10/8自由の森「Jiモール大バザール」での絵画展と杏さんたちのライブペインティング・ワークショップは記憶に新しい。

杏さんは最後の方にこう書いている。
…私たちの活動は相馬市に「子ども文庫」が設立されるまでまだまだ続きます。そのための準備や資金集めをさまざまな形で行っています。本書の印税も「子ども文庫」設立のために使われます。…

図書館には寄贈+購入で複本がある。多くの人に手に取って貰い、できるならご家庭にも揃えて頂けたら…と願う。

※昨日7日から13日まで、銀座あかね画廊(中央区銀座4ー3ー14東京メトロB4 C6出口徒歩1分 Tel03-3561-4930)にて、蟹江杏新作展、開催中。

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